2017年にインドに行った時に書いてた日記

コロナで海外どころか日本ですら旅を出来ないもどかしさの中、2017年にインドに行った時の日記をメモ帳から引っ張り出して読んでみた。

面白かったので原文ほぼそのまま載せてみる。個人名は伏せた。


この旅行は大学教授二人(K先生、H先生)、音楽家一人(Mさん)、学生一人(私)で行ったものである。



以下日記原文



9/6

 エアインディアにのってデリーから入国。機内食のサービスは予想以上によかった!缶ビールを頼むと2本も貰えるし、おかわりは自由だし、機内食のカレーも美味しい!飛行機内はすでにインドの香りがする。インド料理屋さんの独特の香り。入国審査は最初は怖かったが、最終的に審査のおじさんはものすごく笑顔でアリガトーと言ってくれた。ナマステーと返しておいた。


デリーからチェンナイへの国内線乗り換えの時にH先生がチケットを失くした笑探すも見つからず手荷物受け取り口のお姉さんに再発行は厳しいと言われる。だが事前にK先生が仲良くなっていたお姉さんに言うとすぐに発行してくれた。

そしてまたトラブル発生。1日目だけはと事前にブッキングドットコムで予約してあったホテルに急にキャンセルされたのだ。フライト中にホテルから電話があり、それに出なかったからキャンセルだという旨のメールが来ていた(いや出れるわけないやん)すぐさま別のホテルを探す。ブッキングドットコムで予約、すると数分後「sorry,sir…」のメールなぜブッキングドットコムに空室ありと書くのか………。やむなくチェンナイ空港から離れた部屋に余裕のあるホテルを予約することに。


通過両替のレートを空港でしようと試みるも1ルピー0.53円と割が悪かったのでクレカから直引き出しをしようとする。しかしながら手数料が200ルピーもかかる。K先生が両替をして他は断念。1000ルピーが廃止になった話などきいた。


深夜のチェンナイに着くとまずタクシー斡旋所でタクシーを頼んだ。タクシーはかなーり激しい運転をしていた(のちにわかるがこれがノーマル)、まるでカーチェイスで細い隙間をすごいスピードでビュンビュン飛ばしていく。しかしタクシーのおっちゃんは案外優しいもんで道がわからなくなったら現地人やリクシャーのおっちゃんにきいたりしてくれた。ホテルに到着。ホテルの部屋をみるととてつもなく狭く、とてつもなく暑い!申し訳ないがチェンジすることに。そういうとホテルの兄ちゃんは一緒になってホテルを探してくれた!電話をかけたりしてくれたり、ホテルに直接案内もしてくれた。すげー優しい。ホテルに着いたあとは疲れもありシャワーも浴びず就寝。クーラーが冷えすぎ&毛布がブランケットレベルに薄いせいで私はあまり疲れが取れなかった。

in プレミアプラザ




9/7 

10:30にホテルを出発。K先生とH先生はすでに朝、ビーチの方で散歩をしていたとのこと。朝ごはんはなし。

まずは貨幣を両替する場所探しから始めることに。ホテルのオフィサーに両替できる場所を尋ねると、銀行に行きなさいと言われる。オフィサーは丁寧に場所を教えてくれた。銀行に11時ごろつく。(移動はリクシャー)しかし貨幣を両替してくれるはずの人がなぜか勤務中に席を外しており、待ちぼうけを食らうことに。11:45ごろに男性が帰って来るもなんとアメリカドルとしか両替できないとのこと。しかし彼は日本円が両替できる場所を探して、これまた電話確認をしてまで私たちに案内してくれたのだ!優しい。その場所はとあるショッピングモールの中だった。見た目はまるでイギリス建築(おそらく植民地時代の名残)だが中は普通。その中に貨幣両替センターがあり、いいレート(1ルピー58)で交換できた!

そのショッピングモール内の、有名なカレーチェーン店でご飯を食べることに。私はお腹が痛くてほとんどたべれなかった。でもラッシーとかチャパティとかほんと美味しいよ、おすすめ。


そのあとはドラックストアらしき店でオドモスという蚊除け塗り薬と腹痛に効く飲み薬(店員さんがめちゃくちゃ推してた)を買った。オドモスはすごくいいらしい、オススメ。


そのあと一旦ホテルに戻り休憩。新たなホテルを探すためにイグモア駅へ。イグモア駅付近にあるホテルチェンナイゲートというホテルが安い割にとてもいい!

ホテルに荷物を預けて駅を散策。イギリスを意識した駅の作りになっていた気がする。だが電車はすごく不便そうだ。二等列車は人がいっぱいで暑苦しそうだし、一等列車はクーラーが効きすぎて冷えそうだ。


そこから18:30に始まるインド音楽を聞きにいくためにリクシャーに乗った。インド音楽を聞ける場所というのは、ヒンドゥー教の施設の中であった。おそらくシヴァ神の像を拝み、変な水?をおでこにかけ、ザラメ?を渡され奥に進むとインド音楽を聞けるホールがあった。インド音楽といってもヒンドゥー教の音楽だと思う。時折ラーマやクリシュナなどの神の名を歌っていた。演奏者たちはおそらくカーストの高い人たちだろう宗教に対する愛を感じた。


その後は夜のマリナビーチへと向かった。砂浜を歩き、野良犬を無視しながら屋台を眺めた。ほとんど貝細工の店で、ご飯を食べに来た私たちは面を食らってしまった。やっと見つけた魚の出店は、スパイス漬け?した魚を油で揚げ、さらにスパイスをかけるという変な料理だった。スパイスの味しかしなかった。私たちは少ししか食べなかったもののスパイスのせいでお腹いっぱいになってしまった。ツナ(白身だったから絶対違うけど店員がそういってた)とボラ(臭かったらしいけど私には香辛料の味しか感じなかった)をわけながら食べた。

inテルチェンナイゲート(イグモア駅近く朝食付き)




9/8

6:30に起床、8:30にホテルサービスの朝ごはんを食べに行った。朝からスパイスの効いたカレーを食べたが、とんでもなくんまい!侮りがたし。


H先生とK先生は朝から漁村の方に行って来たらしく、すごく疲れていたがとても満足していた。漁村の方々はとても親切に教えてくれたが、魚の名前は全部ツナと答えていたそう。


そこから少し休憩してMさんの目当ての楽器屋へ。ローカルな楽器屋というよりは専門店的な感じだったが、風習を大切にした楽器屋という雰囲気が感じられた。

そのあとは寺院に向かったものの、謁見?の時間ではなかったため、像の観音開きの扉がふさがっていた。しかしK先生の解説により、クリシュナやらラーマやらシヴァ神のことを聞けてとても満足した。寺院の人がとても親切で、郷土のお菓子とか、花をくれた。


その後はちょっとお高めのホテルレストランへ。値段は4人で3200ルピーとインドにしては高くないものの、イタリアンなレストランでスパイシーではなかったので胃休めになった。南インドビールも美味しかった。そしてかのブラヴァツキー夫人が属していた協会の地へ。アヴェスターやら仏教やら何やらの再現shrineがあったり、phoneを禁止していたり、雨水だけで植物を栽培していたりと、なかなか非現代的だった。協会による宗教の捉え方は興味深かった。彼女たちは本当にスピリチュアルに熱心だったことが伺われた。


その後は寝台列車に乗る。寝台列車の時間はルーズだった。はじめて寝台列車に乗ったが非常に面白かった。一番上の台に眠り、起きた時には一緒に乗っていた家族はいなくなっていた。

in寝台列車




9/9 

寝台列車に乗っていると、海が見えて来た。なんと海の中を寝台列車が走っていたのだ!これには興奮を隠せず写真や動画をみんなで撮っていた。野生のクジャクやヤギなども見かけたが、海の中を走ることが非常に興奮した。


列車は巡礼スポットへと到着。ホテルを見つけたあとは海の最果て、津波で失われた跡地などの巡礼地に訪れた。

そのあとはホテルのオーナーに勧められたベストレストランに向かい、とても美味しく感動した。夜は裸足で道を歩いて巡礼地へ行き、ドロドロの足場を歩いてshrineを散策した。とても豪華なshrineで、外国人観光客など1人もいなかった。夜はMさんとダブルルームだったので色々なことを語り尽くした。休む予定が寝るのがすごく遅くなってしまった

inホテルAmbika




9/10

朝ごはんを食べた後に、タクシーチャーターでインドの最南端、カーニャクマリまで向かった。タクシーの運転手さんはとても親切な人で、私たちが興味を持っているところにわざわざ止まってくれて待ってくれたりしていた。特に海の景色と塩田は最高だった。海の景色は私たちが乗った寝台列車のレールがあった。

タクシーから降りてカーニャクマリに着いた。運転手さんはタクシー探しにまで尽力してくれた。ホテルからの眺めはよかったが、K先生の泊まったトリプルルームが一番よく、中でもお湯が出ること、景色が良かった。私の部屋はお湯が出ない部屋だった。


リキシャーに乗ってサンセットスポットに行った。サンセットスポットにはたくさんのインド人がいた。とても幻想的な景色は私たちを魅了した。夕飯にはカーニャクマリで一番おいしい魚料理屋に行った。残念なことに魚介類がイカしかなかったものの、とても美味しい料理を、美しい景色を背景に食した。

inホテルアショーカ




9/11

タクシーチャーターでインド南部の田舎駅に向かった。また寝台列車に乗ってコチに向かう。ほとんどの景色は南国熱帯地域のヤシの森だ。どうでもいいが列車の席はいい加減すぎる。いやお前や絶対にこの席じゃないだろって人たちが堂々と座ってきた。あと駅弁は手抜き感溢れてた。インド風味ご飯に卵が埋まってるだけだった。まずくはなかった。







………これで日記は終わり。この後も色々あったことは覚えているが、どうやら色々ありすぎて日記を書く暇がなかったみたいだ。


中々に刺激的な旅だったと思う。コロナが落ち着いたら、またインドへ行ってみたい。